となりまち戦争
2005年8月7日「セカンド・ブリーチ」より整理のため加筆修正して再掲
- 作者: 三崎亜記
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2004/12
- メディア: 単行本
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- 作者: 三崎亜記
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/12/15
- メディア: 文庫
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ハリウッド的な和製戦争映画が最近増えてきた。「戦争モノ」ブームの関係作として、新聞の特集で紹介されたり、本屋の平台で展開されてたりしたのがこの本。初めて小説を単行本で買って読んだ。
戦争というものが本当に身近な場所で起こったら、どうなるか?偵察員としてとなり町との戦争に参加することになった主人公。しかし、争いの気配すら感じられず、「戦争」の実感を得られない。物語全体を通しても流血の場面はいっさい登場しない。戦争とはどういうものか、そこに焦点を当てたおもしろい話だった。
この物語で繰り広げられるのは、町の発展のために行政的な手続きを通して住民が殺しあうというありえない設定の戦争だ。しかもそれが主人公の眼前(=読者の前)では行われないのだ。
人間は目の前で起こる出来ごと以外のことを信じられる動物だ。いろんな情報伝達手段によって、自分の実体の枠を越えた情報に触れることができる。けれど、キレイに消化できるのは自分の実体験だけなんじゃないだろうか?例えば「戦争を知らない子どもたち」が戦争に反対することには、どうしても「リアリティ」の欠如という欠陥を避けられないんじゃないか?
現代社会は動物が把握できるよりずっと多くの情報量を把握することを人間に求めてる。だけど記憶してるだけじゃさすがにキャパを越えてしまう。だから「想像力」というものが重要なんだ。あらゆる犯罪はこの「想像力」を充分に働かせることができないのが原因だと思う。自分の認知していること以外のあらゆることが、自分の行動に関わってくる。これを犯したらこうなる、こう罰せられる、それによって人生がこう変わる、そういう風に頭を働かせることができないのだ。
自分の中の「リアリティ」だけでは手に負えない状況に遭遇する機会が増えた。そのとき、どう行動すればよいか。それを考えるのが想像力だ。